
一枚の和菓子の写真から、ソウル・合井洞へ。
私がはじめてsaiを知ったのは、Instagramで見かけた一枚の和菓子の写真でした。
それまで、和菓子そのものに強く目を留めたことはほとんどありません。
けれど、画面の中にあった小さな菓子は、どこかお菓子というより、ひとつの景色のように見えました。
小さく、愛らしく、それでいて凛としている。
食べるためのものなのに、しばらく眺めていたくなる。
そんな不思議な存在に惹かれ、いつかこの場所を訪れてみたいと思うようになりました。
そして先日、韓国を訪れる機会があり、saiのあるソウル・合井洞へ。
実際に目の前にした和菓子は、写真で見ていたとき以上に繊細でした。
やさしく色づいた半透明の器たち。
静かな灯り。
余白を残した空間。
それぞれが主張するのではなく、ひとつの景色としてゆるやかにつながっているように感じます。
店内では、和菓子を前に何度もシャッターを切る人の姿も見かけました。
その気持ちはよくわかります。
これがお菓子なのだという驚きと、できることならもう少しこのまま眺めていたいという気持ち。
saiの和菓子には、口に運ぶ前から始まる時間がありました。

夏の情景を、小さな菓子の中に詰め込んで。
saiの和菓子は、季節とともに姿を変えていきます。
私が訪れたのは夏。
そこに並んでいたのは、夏の自然の記憶を、小さな菓子の中へそっと閉じ込めたようなものばかりでした。
淡い水色に光が揺れる、夏の川のようなもの。
紫陽花を思わせる、細かなきらめきをまとったもの。
雨上がり、水滴を残した一枚の葉のようなもの。
木々の隙間から光が差し込む、その一瞬を思わせるもの。
形だけを写し取るのではなく、光や湿度、その季節の気配まで掬い上げているように見えます。
自然の一瞬を、味と造形へ置き換える。
saiの和菓子を見ていると、そんな言葉が浮かびました。
味には、しっかりとした輪郭があります。
けれど、強く主張するわけでも、甘さがいつまでも残るわけでもない。
むしろ、口にしたときに感じたのは、どこか涼やかな余韻でした。
そこにお茶を重ねると、味わいがゆっくりとほどけていく。
和菓子とお茶が別々に存在するのではなく、ふたつが重なったところで、ひとつの時間が完成していくようでした。
眺めていたいと思わせる美しさと、口にして初めてわかる感覚。
その両方が、saiの和菓子にはあります。

“あいだ”に生まれる、saiの時間。
「sai」という名前は、韓国語で“あいだ”を意味する「사이」に由来するそうです。
人と自然のあいだ。
花と菓子のあいだ。
伝統と現代のあいだ。
食べることと、眺めることのあいだ。
saiにいると、何かと何かの境界をはっきり分けるのではなく、その間に生まれる余白そのものを大切にしているように感じます。
「間」という言葉を大切にしているAEにとっても、saiという名前にはどこか親しみを覚えました。
国や文化が違っていても、ものともののあいだに生まれる余白や、そこに流れる時間を大切にする感覚には、どこか通じるものがあるように思います。
そして、その静けさは空間だけにあるものではありませんでした。
そこで働く方々の穏やかな佇まいも含めて、saiにはやわらかな時間が流れていました。
季節が変われば、和菓子もまた新しい景色を見せてくれる。
次はどんな自然が、小さな菓子の中に現れるのだろう。
そう思うと、また季節を変えて訪れたくなる場所です。
